み づ な き そ ら

その時々のハマリものなどを徒然と

勉強してても妄想したくなるんです だってオタですから

今日は歴史オタの戯言ですので、興味ない方は適当にスルーしてください~(間違った知識ですので)。

卒論のため、新潟県史中世編まるまる全部読んでます。明日、卒論指導会なんです(ガクブル)
あと山梨県史と神奈川県史も読まないとだめだな。きっつー。
しかも、関係ないのに三成からの文書があるとついつい熟読してしまう私。
1つ気になったのが、上杉景勝宛ての文書で直江兼続を「直山舎弟」って書いてるんですよね…。
ちなみに↓
しゃてい 【舎弟】 (1)自分の弟。実の弟。 時には他人の弟もいう。
どっち!!?
まあ普通に考えれば景勝の弟分と考えるのが正しいのでしょうけれども。
景勝とだったら歳も5つ違いだし。
(ちなみに兼続と三成はどちらも1560年生まれの腹黒戦下手フレンズw)
しかし、直山は違和感あるな~。直江山城守の略称だと思いますが。
三成も石治(=石田治部少輔)とか書かれてますしね。どうもそういう書き方が主流のようで。
私の希望としてはプライベートでは「直江殿」「三成殿」と呼び合っていて欲しいです。
三成が敬っている感じでお願いします(ミョーなこだわり)

残念ながら御館の乱関係では、兼続は全く出てきませんね(信綱さん健在だもんなー)。
でもこの頃の景勝は22,3歳で今の私と同じ歳くらいなので応援したくなりますね(笑)
三郎景虎は北条方の文書だと「氏秀」で書かれるから時々見落としてしまうよ。
北条の知識がほとんどないので、こっちも急務で調べねばならぬー。
ネットで調べると某蜃気楼ネタばっかり引っかかるし(鬱)
なんかコレ流行ってた頃、御館の乱で卒論書く人多かったみたいですね…。複雑だ。
GWは新潟の図書館に入り浸るかな…。

今更ながらWikipediaって便利ですねー(笑)