み づ な き そ ら

その時々のハマリものなどを徒然と

10/25 岡崎 旅行記

今回の旅ではおそらく高校時代の私(三成に妄信するあまりワケもなく東軍が嫌いでした;;)だったら絶対来なかったであろう徳川関係の史跡を廻りました。 まあ家康は今でも好きにはなれないのですが、その周囲の人々は義臣揃いで好きなのですよ。

桶狭間古戦場
 
岡崎に入る前にちょっと寄り道。
ここに来るときは天気の良い日より、土砂降りか運良く夕立のときに来られれば感慨も一入でしょうねえ。小さな公園のようになっていて、 市民の憩いの場なのかお年寄りの姿をよく見ました。
  桶狭間七石表
公園内には写真のような石碑が七本立っています。一号碑は今川義元、二号碑は松井宗信、 以下今川家臣五人の戦死の場所を指し示しているそうです。
 今川義元の墓

岡崎城

徳川家康の誕生地です。産湯の井戸や遺言碑などもありました。
城の中がそのまま資料館になっています。展示品は藩政資料や城下町について。
帰りに鳥居元忠と忠勝の特別展資料を購入☆

左・徳川家康像、右・本多忠勝
岡崎城に隣接している岡崎公園の中にあります。
あと、誰だかわかんない謎の武者像も一体あった。あれは一体何だったんだろう…。
平八郎は思ってたよりスリムに作られてました(笑)しっかり蜻蛉切も装備しておりますよ。
 三河武士のやかた 家康館
家康の資料は岡崎城よりこちらの方が充実してます。
まだ新しいみたいで、内装がとても綺麗です。
特に関ヶ原合戦を再現したジオラマは必見★武将が喋る!!状況に合わせてジオラマが動く!!
ジオラマに使われている人形も、各武将ごとに装飾が違います。
具足もちゃんと再現されていて、リアリティー抜群。
見ている間、血が騒ぎっぱなしでした。三成も良かったけど、何気に秀家もたくさん喋ってた気がする。 しかも激しい口調で(ウロ覚え)いつもはいい子だけど、戦時中は父・直家モード(腹黒)発動してるといい。
…ごめんなさい、家康館なのに西軍ばっかり見てました(笑)
岡崎城のあたりは橋とかにも竹千代の名前が付いていました。

■法蔵寺
 
行基が開基し、家康もここで幼少時代に修業などしていたとか。
 近藤勇首塚
法蔵寺の一番目当てはここでした。幕末関係の史跡は久しぶりかなー。
江戸で斬首された局長は京都の三条河原で梟首されますが、その首を斎藤一が奪取、京都時代に近藤さんと縁のあったこの寺の住職に預けて葬られたのがこの場所のようです。
ここでも新撰組ノートを発見しましたので(新撰組関連の史跡はどこにもあるね!)、私も足跡を残してきました。
残す未踏の近藤さんの墓所は東京の2ヶ所ー。
でも三鷹も板橋もなかなか行く機会が無いんだよな~。

岡崎市美術博物館

建物の写真撮ってくるの忘れたので、チラシと購入した図録。
本当に鼻血モノの特別展でした。忠勝の具足を生で見られるなんて、 おそらく一生に一度しかないような気がするので恐悦の至りですよ!!
この機会を逃してはならぬと舐めるように見回してきました。時を経た今もなおツヤツヤでした。
美術館も兼ねているせいか、展示方法も綺麗でしたね。忠次→忠勝→康政→直政の順でコーナーが区切ってあり、 それぞれに遺品がまとめてあります。
個人的に見られて嬉しかったのは、加藤清正が康政の勲功にあやかって朝鮮出兵の時に借りた馬印と、 そのお礼に清正が康政に贈ったという朝鮮の五輪書ですね。
まさか虎の名前を見ることになるとは予想もしてませんでしたので。舅同士の友好関係vv

■滝山寺
 本堂(重文)
1222年、足利尊氏建立。県下最古の建造物です。
 徳川綱吉寄進の鐘楼
そういえば、 八幡宮の方見て来るの忘れたなー;;
宝物殿も閉まっていたし、またいつかここにはもう一度来たいと思います。

大樹寺
  山門
徳川家光建立。
 鐘楼
徳川家光建立。
R0010357[1] 多宝塔(重文)  
松平家廟所

手前の大きな墓は昭和期に作られた家康の遺品が納められた墓。それに続いてずらりと松平家の墓が並びます。五輪塔と宝篋印塔が混ざってたな… 。しかも後ろの方になるにつれて、墓石が小さくなるという不思議。

撮影禁止だったので撮れませんでしたが、大樹寺の一番の見どころは歴代将軍(家康~家茂)の身長に合わせて作られた位牌です。 綱吉が身長124cmと超ミニサイズでびっくり。8歳で亡くなった家継よりもちいこかった…。
日が暮れましたので、岡崎旅行はこれにておしまいになりました。

愛知は古戦場の宝庫なので、あと最低でも2,3回は来ることになるでしょうvv
次は知多半島も行ってみたい。義朝最期の地へ!!